2019年4月26日金曜日

裁判官に人権教育と性教育を!(19年前より)


性暴力への無罪判決がこの数ヵ月相次ぐことを受け、
先日、400人以上が集まる抗議デモが行われた。

プラカードには、
「裁判官に人権教育と性教育を!」の文字。

そう、被害者の現実と乖離した判決を出す裁判官は、
「人権」や「性」への理解が浅いのではないかと
疑わざるを得ない。

そしてこのような状況は、いまに始まったことではない。
私がテレビ局の報道記者として裁判を取材していた2000年にも、
性暴力に対し、疑問を感じる判決が出ていた。

当時、ある機会に執筆した論稿を以下に掲載する。
20年近く経っても性暴力をめぐる司法判断は変わっていないのかと、
暗たんたる思いである。

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【裁判官というプロに求められるもの】

本来、プロとはその道の専門家であることをいう。そうであれば、非常に難易度の高い試験をくぐりぬけた者だけに許される職業の一つ、裁判官はプロフェッションの最たるものではあるまいか。何しろ、人が人を裁くのだから。しかし、裁判官がプロとして求められる高度な人権感覚を持って職務にあたっていると、必ずしも言えるだろうか。


忘れられない裁判がある。2000年12月、福岡地裁は、野外合宿中に担任する小学5年生の女児の体を触った男性教諭に、懲役年、執行猶予年の判決を言い渡した。この教諭は合宿中、寝ていた女児の部屋に侵入し犯行に及んだ。ほかにも同様の手口で7人もの女児を触ったという。執行猶予がついたことには正直驚いた。


もちろん、裁判を感情論のみで語るべきではない。だがそれにしても、と首を傾げたくなる。判決を言い渡した男性裁判官は、性被害が子供に与える影響をどれほど理解していたのだろうか。量刑理由では「加害教諭は懲戒免職になるなど社会的制裁も受けている」とされた。

しかし一般に、幼い頃遭ったわいせつや強姦などの被害経験は、大人になっても異性への恐怖心が拭えなかったり、逆に自暴自棄になって不特定多数の異性と関係を結んだりといった形で、一生その子どもを苦しめる。


 自業自得で目先の職を失った教諭と、どちらの痛みが大きいだろうか。被害にあった女児は帰宅後親にも打ち明けられず、姉と抱き合って泣いたという。


 性犯罪の裁判判決では、被害者側の心情をどれだけ汲んでいるのか疑問を持つことが多い。日本の裁判官教育には、女性の人権のためのジェンダー教育がないという。裁判官の買春問題など、性をめぐる彼らの人権感覚への不信感は大きい。それでも私達は裁判官の判断に頼らざるを得ないのだ。プロなのだから。どうかプロにはプロにふさわしい教育を、と法曹界に求めずにはいられない。


(渡辺真由子、2002年)


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ネット時代の性教育 渡辺真由子

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