なにかと騒がれている昨今。
日本で初めてセクハラ裁判が起こされたのは1989年、
いまから約30年も前だったことをご存知だろうか。
当時の経緯はこちらで詳しく紹介されている。
裁判から10年後の1999年、
当時テレビ局報道記者だった私は、原告女性を取材した。
その女性は事件以来初めて、テレビカメラの前に顔を出し、
自分の思いを語ってくれたのだった。
取材内容はテレビ朝日『ニュースステーション』で放送した。
あの時、取材者として私は
セクハラ問題に対し様々なことを考えたが
(こちらで述べている)、
あれから約20年が経っても、社会はほとんど変わっていない。
当時、原告女性の夫は
テレビの前で語ることを強く拒んだ。
「周囲の眼があるから」というのが理由だった。
セクハラの被害者は、何も悪くない。
しかもその裁判で、被害者側は勝っている。
それなのに、被害者に好奇の目を向けることで
その口を閉ざさせてしまう、私たちの社会の未熟さを痛感した。
そして、さらに約20年が経ったいま。
相変わらずセクハラ被害者の多くは、
表立った発言を自粛せざるを得ない状況にある。
むしろ、自粛の程度は強まったといえよう。
ネット上ですぐに特定され、個人情報をさらされ、
誹謗中傷を浴びせられるからだ。
これは、私たちの社会において
「被害者を責める」価値観が
依然として変わっていないことを意味する。
では、
社会を変えるために必要なことは何なのか?
これについて私からは幾つかの提案があるが、
詳しくはまた機会があれば。
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