「スポーツマンのくせに」
スポーツ界で起きていた性犯罪がいま、次々と明らかになっている。
日本クレー射撃協会のセクハラ、日体大アイスホッケー選手・帝京大ラグビー部員による性的暴行。帝京大事件にはほかに上智大、独協大の学生も加わっていたと報じられ、もはや ”〇〇大の学生だから”倫理観が低い、などとひとくくりにすることは出来なくなった。
それではこれらを、”スポーツ界で起こった事件だから”と特殊扱いすることは、はたして出来るのだろうか。
今回の一連の事件について、メディアは一斉に批判を行っている。普段は性的暴行事件といえば、興味本位に被害女性の落ち度をつつく報道をしがちな男性週刊誌やスポーツ新聞でさえも、今度ばかりは加害者である運動部員側を激しく非難している。
それは一見、メディアの性犯罪報道に一歩成長があったようにもとれ、喜ぶべきことなのかもしれない。しかしながら気になるのは、これらメディアが揃いもそろって、批判文句に「スポーツマンのくせに……」という理由を掲げている点だ。
「子どもたちに夢を与えるはずのスポーツマンが」「良識とさわやかさの象徴であるはずのスポーツマンが」このような卑劣な行為に手を染めた。それが許せない、と。その論調は気味が悪いくらい倫理的で、まるで全メディアが、不出来な凡人に説教をする”にわか坊さん”になったかのような口ぶりである。
どうもメディアは、この事件をスポーツ部員という「特殊な人々」によって行われた別世界の出来事としてしか捉えておらず、自分たち一般市民は関係ありませんよ、と高みの見物を決め込んでいるような気がしてならない。だから、こうまで横並びにバッシング出来るのではないか。
実際に起こったのは、男性の集団による、女性への性的暴行事件である。人間として、誰にとっても許されざる行為のはずだ。“スポーツマンだから”許されないのでは、決してない。そこの論点のすり替えを感じる。
一般人が性的暴行事件を起こした時の記事の何倍もの紙面を割いて、あるべきスポーツマンシップについてあれこれと論議することが、本当に必要なのだろうか。事件の内容よりも加害者の特徴にばかり焦点を当て、本当に考えるべき事件の本質が見えにくくなっている。
”スポーツびいき” な社会
確かに、スポーツ界というのはある種特別な世界だ。厳しい上下関係、肉体を酷使する練習量、勝利へのプレッシャー。ストレスもたまる。さらにこの社会では、スポーツをやたらと崇める風潮がある。
身近なところでは我が慶応大学の体育会部員も、「練習があるから」と言えば、必修科目の授業の欠席も認められる。テレビでは、他の番組を繰り下げてでも野球中継が放映される。非常に”スポーツびいき”なのだ。社会がどんなにスポーツマンを美化しているかは、今回の性犯罪における「『情けない』合唱」を眺めていればよくわかる。そのような環境が、スポーツ名門校の部員をおごらせたということもあるだろう。
だが、彼らは運動部員である前に一人の学生であり、人間である。性犯罪に手を染めたいう事実をめぐる議論を、運動部員だったという特殊性のみに着目して、片づけてはならない。
事件の背後にあるもの
これらの事件の背後には、青年一人ひとりの、性に対する倫理的価値観の貧しさが存在する。そしてそれは、彼らを育んできた社会・教育・環境と密接に関連していると思われる。日本の男性週刊誌やスポーツ新聞における、性欲のはけ口としての女性の扱い方は異常だ。私はオーストラリアから帰国後、改めてそれを実感し、ゾッとしたものだ。このままでは、我々の性犯罪に対する抵抗感は、どんどん鈍くなってしまうと。
よって今回の事件は必然的であり、誰がやってもおかしくないとさえ言える。その当事者が、たまたまスポーツマンだっただけだ。
報道が論じるべきこと
もっとも、皮肉なことに加害者がスポーツマンだったおかげで、メディアが性的暴行事件をいつになく大々的に取り上げたわけだから、それは性犯罪について考える機会だと言えるのかもしれない。だからこそ、報道のあり方には、スポーツマンシップ云々だけで終わらないことを望む。
「健全な精神を育成する」という美しき大義名分の下にくるまれた、ストレスをためさせるであろう必要以上の上下関係や閉鎖性、そしてスポーツマンを特権扱いする風潮に見直しを促す。同時に、メディアでの性暴力の描かれ方についても、十分議論するきっかけになってほしい。
少なくとも、運動部員の性犯罪はけしからんという記事を載せているすぐ隣に、女性を性的におとしめる記事や広告を載せて平然としている現段階のメディアを見る限り、今回の事件を自分たちの問題として考えきれているとは思えない。
(渡辺真由子、1997)
☆【メディアの中の女と男】シリーズ
①『不機嫌なオンナたち』
▶このブログの更新チェックが面倒なあなたはこちら↓
▶「ネット・トラブルと子どもの心」をオンラインで学ぶ