2019年12月4日水曜日

いじめ自殺から20年~遺族が救われない少年法の「現実」


息子をいじめによる自殺で亡くしてから、両親は今月、21年目を迎える。壊れゆく遺族の姿をこの20年取材してきた立場から、少年法のあり方を考える。

加害少年との再会

体はブルブルと震え、頭はガンガンと痛みだした。「奥さん、顔色悪いよ」。店員の声が遠くに聞こえる。視線の先にいたのは、かつて息子を死に追いやった男性だった。


福岡県飯塚市の古賀和子さん(69)は1998年の1226日、当時高校2年生だった長男の洵作(しゅんさく)さん(16)を、いじめによる自殺で亡くした。いじめの加害者とされた同級生の少年6人が、洵作さんへの恐喝未遂容疑で逮捕された。

事件以来、和子さんは月命日に洵作さんの仏壇へ花を供えることを欠かさない。2015年4月。この日も月命日が近づいていたので近所へ花を買いに行き、ついでに寄った魚屋で、加害少年だった1人と出くわした。裁判後、顔を見るのは15年ぶり。男性は買い物カゴを下げた妻と幼い子どもを連れ、幸せそうだった。

相手に気付かれないよう慌てて店を出た和子さん。帰宅しても体の震えが続く。悔しくて悔しくてどうしようもない。出来ることなら、つかみかかりたかった。「加害者だけがぬくぬくと普通の暮らしをしているなんて許せない。私たち遺族がこれまで、どんな思いで過ごしてきたかわかっているのか」。


果てしのない苦しみ

加害少年側と学校側を相手取った民事裁判が終わったのが2000年。和解でありながら、いじめ行為と自殺との因果関係を認めさせた画期的な内容だった。

和子さんと夫の秀樹さん(69)の緊張を保っていた糸は、プッツリと切れた。「裁判が終われば遺族も一区切りついて前を向くのだろう」と世間は思うかもしれない。だが夫婦にとって裁判の終わりは、果てしのない苦しみと向き合う日々の始まりだった。

洵作さんを亡くした直後、泣き暮らしていると周囲から「時が解決するから」と言われた。だが裁判が終わり、歳月が流れるにつれ、和子さんは逆の思いを強くする。「時と共に、息子がいないという事実を受け止めるのがどんどん辛くなってくる。苦しみは増すばかり。時が癒してくれるというのは嘘です」。

苦しみが増す理由はもう一つある。洵作さんの死を防げなかったと、夫婦はこの20年間、自分を責め続けているのだ。

洵作さんの遺体を最初に発見したのは秀樹さん。ぐったりしている息子の身体をなんとか蘇生しようと、必死に口から息を吹き込んではみたが、心臓マッサージのやり方を知らなかった。 「洵作の身体はまだ温かかったのに、生き返らせてやれなかった」。17回忌でも声を上げて泣いた。


和子さんも、洵作さんの身近にいながら、いじめを受けている兆候に気付けなかった自分が許せない。明るい性格で体格も頑丈、将来はアフリカで自然保護の仕事につきたいと熱く語っていた自慢の息子。いじめの被害者になっているとは、夢にも思わなかった。

「洵作に申し訳ない。早くそばに行きたい」。裁判を終えてからの和子さんは、そればかり考えるようになった。ストレスで髪が抜け、いまも夜は大量の睡眠薬を飲まなければ寝られない。「夫婦で支え合って何とかここまで来たけれど、いまも生きていくのに精いっぱい」。

「本当は死刑を」

法治国家の日本では、加害者を裁くのは被害者ではない。国が、法律に基づいて裁判を行う。古賀夫婦も加害少年側と裁判で和解した。少年たちの行為と洵作さんの自殺との因果関係を認めさせ、謝罪させる内容で、いじめ自殺をめぐる裁判としては異例の、実質的な勝訴だった。

それでも、法律で被害者の気持ちは割り切れない。恐喝未遂罪は、成人であれば10年以下の懲役に処せられる。だが加害少年たちは、20歳未満に適用される少年法の下、少年院を半年で出てきた。


「こんな極論は叩かれるかもしれないけれど」と前置きしながら和子さんは言う。「少年法はなくして、子どもも大人と同じように罪に問うべきです。子どもでも、やったことへの何らかの罰を受けるのは当然だと思う。私たちの大切な息子の命を追い込んだ加害少年には、本当は死刑を望みたい」。

なぜ和子さんは、そのような思いに至ったのか。心に引っかかっているのは、事件後の加害少年たちの態度だ。少年院を出所した彼らは、院に入っていたことを周囲に自慢したり、逮捕前に行なっていたバイクによる夜間の暴走行為を再開させたりしていると、伝え聞いた。

また裁判で和解した時、法廷で遺族に謝罪することになった彼らは、それぞれ椅子から立ち上がり、「どうもすみませんでした」と一言発しただけ。詳細な謝罪の言葉を述べると思っていた和子さんは驚いた。「自分の言葉で、洵作や私たちに言うことはないのか」。

少年院と裁判を経るなか、古賀夫婦のもとへ直接謝りに来た加害少年はたった1人だ。残りの5人は、洵作さんの仏壇へ線香一本あげに来ていない。

「この20年の間に、加害少年たちにはすべきことがあった。裁判で謝って終わりました、その後は僕たちの人生を歩きます、じゃ許されない。彼らが洵作と真正面から向き合っていたら、私もこんな思いにはならなかったのに」。

少年法の「更生機能」が問われる

少年法の理念は「更生」である。少年が人格的に未熟であることを考慮し、刑罰を与えるよりも保護して立ち直らせることを目的とする。このため、罪を犯した少年が送致される少年院では矯正教育が施されることが、少年院法によって定められている。

だが、法律が加害者に「明るい未来」を願う時、その未来を奪われた被害者のことは置き去りにしていないか。洵作さんの事件での加害少年たちを見る限り、この矯正教育に果たしてどれほど有効性があるのか、疑わざるを得ない。

少年事件で家族の命を奪われた全国の遺族らでつくる「少年犯罪被害当事者の会」も、「加害者が少年院や刑務所から出所しても謝罪がなく、損害賠償金も支払われていないケースがほとんど」として、更生のあり方に再考を求めている。

少年法は2000年以降に改正を繰り返し、事件の被害者や遺族に対しては、少年審判の結果の通知や事件記録の閲覧、裁判での意見陳述などを認めるようになった。だが、いくら形式を整え、法律で決着をつけようとも、加害少年の心からの償いがなければ、被害者の傷が本当の意味で癒されることはない。

折しも現在、少年法の適用年齢を20歳未満から18歳未満に引き下げる議論が、法制審議会(法相の諮問機関)で進んでいる。しかし、問われるべきは年齢よりもまず、遺族の納得を得られる更生機能の充実ではないか。

「『人の命がどれほど大切か』を教えるのが一番大事」と、和子さんは声を振り絞る。遺族の最大の願いは、亡くなった我が子を返してもらうことだ。加害者にそれが出来ないのなら、せめて精いっぱいの償いを、態度で示すしかないだろう。そして、加害者をそのように罪と向き合える人間に育てることこそ、少年法の真の存在意義である。


(渡辺真由子・MAYUMEDIA書下ろし)
*冒頭画像は、洵作さんが生前よく口にしていた言葉

【関連リンク】
いじめ自殺 親のそれから:前編(AERA、2007) 

いじめ自殺 親のそれから:後編(同)
いじめ自殺 遺族の16年後(熊本日日新聞、2014)
<取材者として>
わたし流番組論:前編(月間民放、2001)
わたし流番組論:中編(同)
わたし流番組論:後編 (同)