2012年4月15日日曜日

『わたし流番組論』 中編

わたし流番組論
『常識や習慣から解き放たれてみたい
~「新しい価値観」「新しい場所」を求めて』

                                                (月刊民放 2001年9月号)



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前編 ▼後編



〈「女性記者」だから……?〉



「しょうがないでしょう、起きたものは!」
「しょうがないんですか?」
 私立高校の校長室。校長と私は向かい合っていた。
洵作さんと、恐喝した6人の少年は全員、その学校の2年生に在籍していた。
学校側がいじめを把握していなかったのかどうかを聞きたくて、
私たちは何度も取材を申し込んだ。しかし電話さえ取り次いでもらえない。
6人もの逮捕者を出しておきながら口を閉ざす、
教育現場の隠ぺい体質を目の当たりにした。







仕方なく直接校長にインタビューを申し込みに行ったところ、
激しいやりとりが始まってしまった。
生徒のいじめ自殺事件についてどう思うのかとの私の質問に校長が返したのが、
先の一言だった。 

 校長が本音を漏らしたことで、このやりとりの場面は図らずも
番組のヤマ場の一つとなった。
テープでこの場面を聞き返すと、今でも私はあの時の緊迫感を生々しく思い出す。




 二人のやりとりについて、ベテランの制作者やコンクールの審査員が
述べた感想は、ある部分が共通していた。
「記者が若い女性だったから、相手は油断して口をすべらせたのだろう」
というのだ。意外だった。

 おそらく彼らの指摘は正しいのだろう。
若い女のコと見て、なめてかかった校長。
ザマーミロ!と思う反面、私は複雑な気持ちである。
 自分は年齢や性別への意識などなく、一人の記者として
相対しただけだったからだ。若いこと、さらに女性であることが
世間から未熟の代名詞のように見られているという事実には
(実際私もまだ限りなく未熟なのだが)、少々がっかりさせられた。



とはいえこの職業、女性であることのデメリットよりは
メリットの方が多いと思う。
企業や自治体で報道機関に対応するのは基本的に課長以上。
となると、圧倒的に男性の比率が高いからだ。
男性記者が取材相手のもとに3回通わないと聞けない情報を、
女性記者は1回で取ってきたりする。



不公平だと感じている男性記者もいるだろう。
報道記者の場合、特に警察での情報争奪戦が激しい。
警察署の幹部が女性記者と親しげに話していると、
男性記者の間から「いいよなあ、女性は」と囁きあう声が聞こえてくる。
「オンナを売り物にして」との侮蔑的な響きをその裏に込め、
「男たるもの実力で勝負だ!」と虚勢を張ったりする。

 仕方がないのだ。男性記者は「オトコ」を売り物に出来ないのだから。
警察署の幹部に女性の姿は見かけないのだから。



「組織の意思決定の場にもっと女性を」と訴えるのは大抵女性団体だが、
むしろルックスに自信のある男性たちが、そんな訴えを起こしたら面白いと思う。

〈受け手の半分は女性なのに作り手は男性〉







社会進出する女性が増え、「オンナが強くなった」と言われても、
管理職に占める女性の割合は諸外国に比べて格段に少ない。
ひとたび結婚や出産をすれば、子育てと家事の負担を夫以上に請け負い、
良き主婦として家を守ることが求められる。
 最近話題の夫婦間暴力も幼児虐待も、結局は日本に根付いてきた
性別による役割分担意識のひずみが表出したものに他ならない。
そしてこの様な私たちの社会が形作られてきた背景には、
メディアの影響も決して小さくはないだろう。







テレビや新聞で使われる女性と男性に絡んだ表現からは、
社会がそれぞれの性に期待する役割が感じ取れる。
例えば、女性が描いた絵を指して
「女性らしく繊細でしなやかな筆づかい・・・」などと説明する。
一方で、男性が涙を流す姿に「男泣き」とコメントをつける
(これは、『男性は人前で泣くべきではない』との前提をもとにした表現。
『女泣き』という言葉はない)。
かくいう私も、街頭でご夫婦にインタビューする時など、つい
「そちらの『奥様』は・・・」と口走ってしまい、
「しまった!」と思うことがある。



CMでも、子供のお弁当作りに便利な高性能電子レンジに嬉々とするのは母親、
夫にビールを運ぶのは妻、など、
シチュエーションが思いっきり固定化されている。
若い女の子のお色気姿をアイキャッチャ―に使うCMはあっても、
若い男の子のセクシーさに思わず目が釘付け、
というようなCMはほとんど見かけない。なぜか。



答えは簡単、メディアの受け手の半分は女性でも、
作り手の大半は男性が占めるからだ。
彼らの価値観に照らした「常識」もしくは「楽しめる」といった判断のもとで
情報は発信される。
その弊害を問題視する動きも市民団体などから出てきてはいるが、
まずはメディアに携わる私達自身が自覚することが必要だろう。



取材で大学教授など、社会の一線で活躍する女性に会うと、
「知ってる?テレビ局の現場で働く女性はたったの2割なのよ」と、
その少なさを指摘されることがよくある。
おそらく男社会の中で幾つもの壁を経験してきた彼女たちにとって、
世間の意識形成に大きな力を持つメディアの世界に
自分と同じ性があまり見当たらなかったのは、なんとも心許なかったに違いない。

「あなた、頑張ってね」とハッパをかけられると、
一地方のヒヨッコ記者の自分に何が出来るのか、思いを巡らせてしまう。



  







前編 ▼後編
 



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2012年4月11日水曜日

『わたし流番組論』 前編

新年度を機に、過去の原稿を整理していたら
非常に懐かしいものを発掘した。
『わたし流番組論』。
書いたのは実に11年前。
いじめ自殺と少年法改正を取り上げたドキュメンタリー
「少年調書」が、民放連最優秀賞などを受賞したことから、
テレビ業界誌「月刊民放」へ寄稿した作品だ。



あの頃はまだ入社4年目だったが、読み返せば
いじめや女性問題など、考えていたことは今と変わらない。
いやむしろ、当時の問題意識を貫いたまま
ここまで来たと言うべきだろう。



初心忘れるべからず、ということで
ネット上に初公開します!
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わたし流番組論
『常識や習慣から解き放たれてみたい
~「新しい価値観」「新しい場所」を求めて』

                                                (月刊民放 2001年9月号)

  ▼中編 ▼後編





〈自分が取材しないで誰がやる〉



 とにかく、対象に惚れ込んだのだ。
古賀洵作、高校2年生、16歳。
バス釣りとロックが大好き。クラスのムードメーカーで、
男女問わず友達が沢山いた。一方で、繊細な内面を併せ持つ。
相田みつをの詩を生徒手帳にしのばせていた。
将来の夢はアフリカで野生動物の保護にあたること。
「会いたかった」と強く思った。彼が自らの命を絶つ前に。



 洵作さんの自殺は、前日の同級生グループによる恐喝が直接の原因とされる。
だが取材を進める内に、彼が以前からこの同級生グループに
継続的ないじめを受けていたことがわかった。たかり、パシリ、嫌がらせ……。
 洵作さんはいじめの悩みを周囲に打ち明けることはなかった。
毎日を明るく振る舞っていた。彼の死は誰の目にもあまりに突然に映った。
いじめは洵作さんにとってどれほど耐えがたいものだったのか。
遺書は見つかっていない。
事件の核心に近づくには、彼の内面に正面から向き合う作業が必要だった。



 事件が起きた当時の私は入社1年目の新人。
つまり、他のどの記者よりも洵作さんの世代に近かったわけだ。
「自分が取材しないで誰がやる」そんな思いに駆られた。



〈社会の不備を取り上げ、伝える〉



いじめ自殺と聞くと、世間は大抵
「勇気を出して周りに相談すれば良かったのに」と口を揃える。
まるで、勇気のなかった被害者にも落ち度はあるとでも言いたげだ。
声を上げることをためらう被害者に
「勇気」の旗を振りかざして背中を押そうとする風潮は、
他の事件でもよく見られる。しかし現実には、
声を上げられる環境は整っているとは言い難い。



例えば先日、新聞にこんな投書が載った。
電車で痴漢に遭った女性からである。
駅のホームに着いた時その女性は大声を上げて助けを求めたが、
周りの乗客は知らん顔。しかも痴漢を捕まえてくれるはずの駅員は
ホームに見当たらない。結局痴漢には逃げられた、というのだ。
 近頃の駅では「痴漢に遭ったら勇気を出して訴えましょう!」と
謳うポスターが目に付く。勇気を出した結果がこれなのだ。
被害者から駅員への緊急連絡装置を設置するなど、
具体的な対策を講じなければ、その主張は空しく響くばかりだ。



 いじめの話に戻ると、これも自分がいじめられていることは
親や学校になどとても言えるものではない。
「いじめられっこ」には情けなく、恥ずかしいイメージがつきまとう。
思春期は自意識の固まりである。
自分がいじめを受けていると知られることは屈辱にほかならないのだ。

 さらに、いじめられる側にも問題があるとの見方が追い討ちをかける。
「あなたにも悪いところがあったんじゃないの。胸に手をあてて考えてごらん」
などと言われては、その子は萎縮してしまう。
理由が何であれいじめてはいけない、という意識が徹底しなければ、
子どもたちはこれからも口をつぐむだろう。



被害者が声を上げるために必要なのは、勇気などではなくて、
安心して声を上げられる環境なのだ。
そして、その様な環境を整えるのが、メディアで働く私たちの役目だと思う。



 洵作さんの事件を番組にまとめ、テレビでオンエアした時、
視聴者からこれまでにない数のファクスや電話をもらった。
驚いたのは、こういった事件につきものの遺族に対する非難中傷が
一件もなかったことだ。
私たちは洵作さんを美化して描いたわけではない。
ただ、「俺の人生足りん」と親に洩らすほどに
将来がやりたいことで溢れていた少年。
その彼から生きる権利を奪い取ったいじめの理不尽さと、
それを止められなかった社会の不備な現状が伝わったのであれば、
番組を作ったことは無駄ではなかったと感じている。



  ▼中編 ▼後編





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2012年4月6日金曜日

いじめ自殺報道とメディア・リテラシー

テレビ朝日「はい!テレビ朝日です」公式サイトより:




「伝えたこと 伝えられなかったこと~ある記者のいじめ報道の軌跡~」

��007年8月19日放送
(*関西テレビ「報道と人権に関わるメディアリテラシー」への出演内容はこちら



【今回は一人の女性ジャーナリストのいじめ自殺に関する取材を通して、

報道するということはどういうことか、逆に、被害者や遺族が取材されるということは

どういうことかをテーマにお送りします】



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【VTR1】




5月25日、いじめ自殺で我が子を失った遺族たちが、学校の調査内容の

情報開示を求める要望書を政府、文部科学省、各政党に提出。

その中に、1998年、同級生たちに恐喝を受けた直後に自殺した古賀洵作(しゅんさく)さん

��当時16歳)の母、古賀和子さんもいる。古賀洵作(しゅんさく)さんの事件を取材したのは、当時、

テレビ局の報道記者だった渡辺真由子さん。

渡辺さんは、テレビ局を辞め、フリーになった現在も古賀さんたちの活動を

取材し続けている。いじめ自殺に関わり続ける渡辺さんの取材に同行しました。





【スタジオ1】



島本:

メディア・ジャーナリストの渡辺真由子さんは、古賀和子さんの長男、洵作(しゅんさく)さん

のいじめ自殺事件を取材し、以後9年間に渡っていじめ自殺の問題を取材しています。

その中で伝える側の報道のあり方についても考えることが多いと言います。




吉澤:

去年、いじめ自殺が続いた時に、報道の現場でも、いじめ報道はどうあるべきか、

議論になりました。取材され遺族の方々のお気持ちなど、今回改めて考えてみたいと思います。



【VTR2】




7月20日から22日 福岡で開かれた、いじめによる自殺をした

子どもたちの写真とメッセージ展。遺族たちの手作りイベントに、マスコミの取材が

殺到。遺族も取材に積極的に対応。しかし、遺族たちに報道のあり方を尋ねると

疑問を呈する声、怒りなどが出てきました。

メディア・ジャーナリスト渡辺さん自身、

「遺族は取材に積極的に答えるものだと思っていた」と、驚きます。




��998年、古賀洵作(しゅんさく)さんは、同級生たちによる恐喝を受けた直後、自殺。

高校二年生、16歳でした。

遺書はなく、我が子の死の真相を知りたいと願った和子さん、

秀樹さんの両親でしたが、学校の壁、少年法の壁に阻まれました。

一年を超える闘いの後、少年審判記録(少年調書)が開示され、初めて、

息子が追い詰められていく酷いいじめの具体的な内容がわかりました。

渡辺さんは、この事件を取材し、1999年「見えない叫び」、2000年「少年調書」という

二本のテレメンタリー作品を発表し、大きな反響を得ます。

特に、「少年調書」は、千五百枚に及ぶ調書を紹介し、幾つもの賞に輝きました。




その後、母校の高校の後輩たちに番組のテープを観てもらうと、

その感想には「被害者に肩入れしすぎている」「加害者、学校の立場も描くべきだ」という指摘が。

自分の報道のあり方に疑問を抱きます。

渡辺さんはその後、テレビ局を辞めると、カナダへ留学し、メディアリテラシーを学ぶ。




今、改めて自分の番組を観て伝えた内容を見ると・・・。

加害者や学校サイドの意見がほとんどない。

特に、学校に関しては、取材を申し入れても拒否だったため、かなり強引な取材を行っている。

その取材手法が果たしてベストな選択だったのか。

あらためて福岡県飯塚にある古賀さんの家を訪ねる渡辺さん。

取材される側の古賀さんたちは、当時、どんな想いをしていたのか?渡辺さんは尋ねていきます。

ひとつひとつの質問に丁寧に答えていく古賀さん夫妻。

モザイク処理や匿名では、痛みや実感が伝わらないと実名報道を選んだ古賀さんだったが、

その弊害は、世間の目が気になり、外で笑うこともできなくなったそうです。

マスコミは、ニュースの大小を自分たちで決め、事件の本質をほとんど伝えず、

いいとこ取りをする。ということもわかってきました。




しかし、開示された少年調書を、当時テレビ局の報道記者だった渡辺さんに託したのは、

継続的に取材をし報道をしてくれた信頼感があったからだそうです。





【スタジオ2】




吉澤:

��年前の取材のあとを訪ねて、取材される側の生の声を聞き、今、思うことは?




渡辺:

古賀さんもそうですし、遺族の方ともお会いしたのですが、皆さん仰っていたのは、

自分たちが伝えたいと思っていたことが、メディアからは伝えられていなかった。

怒りとか涙とか非常にわかりやすい部分だけをつまみ取られて伝えられていて、

論理的に説明しようとするところは省かれていました。

私自身、新人記者のころを振り返ってみても、被害者の思いをどれだけ伝えられて

いたのか反省する部分はあります。




吉澤:

渡辺さんの立場からいうと被害者の視点で物事を見すぎていた。

その反省を込めて今回改めて加害者側、学校サイドへアプローチしたわけですよね?




渡辺:

結果的には、9年前の対応となんら変わることはありませんでした。

こちらの方から「取材させて下さい」「話を聞かせて下さい」と申し込んでも、

取材拒否されるということは、報道のバランスを取りたいと思っているのに

出来ないのは悩ましい部分でありますね。




吉澤:

両方の立場を知らないと事件自体もそうですが、問題の本質が見えてこない

というのはかなり前から言われ続けていたことなのですが。




メディア・リテラシーを学んで、ジャーナリストとして今後何をどう伝えていくか

お聞かせ下さい。




渡辺:

視聴者の側にもメディアというものを評価してもらいたいし、

メディアを判断して頂いて、ご自分で選んでメディアを観てもらいたい。

そうすることによって視聴率も上がっていくような世の中になって欲しいです。

そこに必要なのはメディア・リテラシー、メディア・リテラシーを身につける

ことによってそれが可能になると思います。

これまでの現場経験、研究を生かしながら、そういったノウハウを

伝えていければいいなと思いますね。




吉澤:

我々テレビ局側からすれば、視聴率だけを狙うのではなくて、“視聴質“

それが視聴者の気持ちに合致したものであれば、テレビ局の意識も上がって

良い番組作りが出来るのではないかと思います。

今日はありがとうございました。



(*関西テレビ「報道と人権に関わるメディアリテラシー」への出演内容はこちら





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2012年3月30日金曜日

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メディアジャーナリスト。
青少年のメディア利用と男女共同参画を専門に、「メディア・リテラシー」、「ネットいじめ」、「性教育」などの対策を提言。執筆・講演活動の他、新聞・テレビ等でコメンテーターを務める。文科省「ケータイモラルキャラバン隊」講師。慶応大学メディア・コミュニケーション研究所元講師。








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2012年3月27日火曜日

論文『ネット性表現の規制とメディア・リテラシー教育』

慶應義塾大学の国際学術誌
「Keio Communication Review」に、
論文を寄稿した



ネット上に氾濫する性的有害情報に対して、
日本における規制及びメディア・リテラシー教育の現状と
今後への提言を述べたものである。



今回は英語論文ということで、
以下は英語ユーザーの方向けの概要:
WATANABE Mayuko, ‘Regulations and Media Literacy Education on Online Obscene Harmful Information: A Japanese Perspective.’ Keio Communication Review No.34, 2012.



Abstract

This paper presents a Japanese perspective
on measures against online obscene information.
A research question
is set on what kinds of measures are required in order to protect youth from
the harmful influence of online obscene information. The paper firstly examines
measures initiated by both national and local governments as well as by cell
phone carriers, and secondly explores how to protect youth from potential
online obscene dangers toward them. Lastly, the paper investigates the impact
of online obscene information on Japanese young people’s behaviors and values
in comparison with that of other countries in an attempt to provide the basis
for accurate measures. The results of the research found that online obscene
information has some significant impact on young people, including the increase
of the curiosity for obscene crimes. 






Keywords: Media literacy;
Internet education; Mobile communications; Contents regulation; Harmful
information; Child pornography



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2012年3月22日木曜日

ネットリテラシー講演 in 青森(文科省委託)

文科省が青森で開催した
ネット・携帯問題のシンポジウムにて
講演を務めた。



テーマは
「中・高生のネットコンテンツの多様な利用とリスク
~保護者が学び、いかに子どもと向き合うか」。
主に、ネットいじめと性犯罪被害について
保護者や教員の方々向けにお話させて頂いた。



このシンポジウムは
文科省が「ケータイモラルキャラバン隊」と銘打ち、
全国のPTA等と連携して実施するもの。
私は徳島講演に引き続いての担当となる。



今年度最後となった青森のシンポでは、
弘前大学の「ネットパトロール隊」も登場。
なんと学生自らが、
ネット上の問題行動に対する監視や啓発を
行なっているという。
まだネットでキケンな遊びをしたい年頃だろうに、
見上げたものです。



パトロール隊の皆さんは
拙著を読破した上、
東奥日報で連載した「子どもとケータイ」も
読んで下さっていた。恐縮である。
子どもの携帯依存の問題については
特に『プロフ中毒ケータイ天国
子どもの秘密がなくなる日』

ご参考になるだろう。
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それにしても
青森で飲んだ日本酒は美味だった。
確か「じょっぱり」って銘柄だべな。



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2012年3月1日木曜日

「負けるが勝ち犬」のススメ

今年度から
相模女子大学にて
教壇に立っている。



担当するのは
メディア・リテラシーに関する講義で、
慶応大学メディア・コミュニケーション研究所で
教えてきた内容とも共通する。



それにしても、
女子大で教えるというのは
私がやりたいと思っていたことの1つであった。



女性の生き方は、
メディアが発信するジェンダーイメージに
多分に左右されている。



メディアが描く女性像に
どのようなカラクリがあり、
それがなぜ問題なのかを
メディア・リテラシーの観点から
批判的に読み解く能力は、
女子学生たちに
特に身につけて欲しいものなのだ。



今学期の講義では
そうしたリテラシーの理論と実践を
一通り教えた上で、
最後に
「女性としてどう生きるか」をテーマに
話をした
(以前に秋田講演でも取り上げただぎゃ)。



私がおススメするのは
「負けるが勝ち犬」という生き方である。



酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』という本が
ベストセラーになって以来、
「負け犬」という表現は
どうもネガティブなイメージで使われてきた。



だが、あの本が言いたかったのは、
「本当は、『負けるが勝ち』なんですよ」
ということではないか。



私が提唱する
「負けるが勝ち犬」とは、
【負けたフリをしながら、選べる立場を手に入れた人】
を指す。



仕事はどの土地で何をするのか。
結婚するのかしないのか。
子どもは産むのか産まないのか。



人生に様々な転機があるなかで
どの道に進むのかを、
メディアにそそのかされるのでもなく
周囲の雑音に流されるのでもなく
自分の意思で選び取る。



それが出来る人こそが、
「負けるが勝ち犬」であると私は考える。



では、どうすれば
そのような生き方が出来るのか?



これには幾つかのポイントがある。
あなたにも、講演などでお届けする機会があるかもしれない。


学生からの授業評価では
「とても興味を持てた。自分の考えが広がった」
「メディアへの考え方が変わった」等々の声が寄せられ、
「意欲的に取り組んだ」学生の割合も平均以上。
大学では通常教えないような内容を、と
心掛けてきた身としては嬉しい。


そうそう、
余談だが相模女子大学では
来年度から
「文章の書き方」に関する講義も担当します。
お嬢さんにご興味があるようならどうぞ!


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