2023年1月10日火曜日

40代からの茶道と禅語

 

明けましておめでとうございます。
今年もご一緒に、「人権尊重社会」の構築に取り組んでまいりましょう。

さて、このブログを愛読くださっているあなたには申し訳ないが、昨秋以降はほとんど更新する時間をとれなかった。
というのも、私が4年前から通っている茶道教室では、新年の初釜で、その年の干支の者が点前を務めることになっている。

何を隠そうウサギ年の私は、見事に両耳をつかまれてしまった。そこから、猛特訓の日々を過ごしていたのである。

思い返せば茶道と出会ったのは2018年、43歳の春。テレビ局を辞めて留学したカナダから帰国し、ジャーナリスト・研究者として活動を始め、10年が過ぎた頃であった。

一通り仕事でやりたい事をやり、言いたい事を言って一区切りつき、早くもプチ・リタイアの心境に入っていた。「何か新しいことに手を付けてみたい」と考えたとき、ふと頭に浮かんだのが茶道だったのだ。こちらで述べたように、茶会に招かれる心構え、という理由もある。

茶道をはじめ様々な芸事を愛でていた、美術館長の祖父のDNAがうずいたのかもしれない(その割に孫はガサツ)。 


人生経験をある程度積んだ40代で、茶道を始める利点とは何か。
私の場合、「禅語」の深さが味わえるようになったことである。

禅の思想を短い言葉に凝縮した禅語は、茶道において、茶席の掛け軸や茶杓の銘で使われている。稽古でも、自分が点前をするときは茶道具の銘を考えておかねばならない。 おかげで、禅語辞典と首っ引きで、あの語にするかこの語にするかと頭をひねるようになった。

禅の言葉は、基本的にポジティブ。
広い心で、万物を愛する。悩みや苦しみにも意味がある。誰もがありのままでいい。

……ほら、大人のあなた、染みるでしょう。

最近私が気に入ったのは「柔軟心(にゅうなんしん)」という禅語。
文字通り、「柔らかい心で向き合う」という意味。

人間は一人ひとり、生きてきた背景が違えば価値観も違う。
自分は正しいと思うことでも、相手には受け入れがたいことかもしれない。
正論を押し付けるのではなく、まずはしなやかな心で、相手の思いを受け止めよう、と。

これ、「論破」ブームのいまこそ、自戒すべき言葉ではないだろうか。
大手出版社の編集者までもが「あの著者をどう論破するか」と話すのを聞いて、危うさを感じたものよ。本は著者のものじゃないんですかねえ……おっと余談。

そうそう、肝心の初釜点前はどうだったかって?
途中ハラハラする部分もあったが、なんとかやりおおせました。
こういうのは場数を踏むことが大事だと思うので、また機会があれば点ててみたいどす。
今年、お茶席を設けたいという方は、お声かけくださいまし(気軽なお席でお願いします)。


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